全ての事は0からのスタート!

Uber Eats、メニュー配達クルーとしての日記や趣味、ざつだん~

哲学は好きですか?雑談しましょ~。

人間は生まれた瞬間が1番何でもできる

 

こんにちは!SISです!

今日は哲学的な雑談をしようかな~と思います。ちょっと長くなる(3000字程度)ので、お時間があるときに読んで貰えると嬉しいです☆

 

 今現在あなたは「好きな言葉」や「心に引っかかっているような言葉」「普段から考えている言葉」はありますか?昔の偉人が残した言葉であったり、普段から耳にするような身近な言葉であったり?

 僕は人間は産まれた瞬間が1番何でもできるという言葉が好き?というより考えさせられます。これは僕が小学生のとき祖父に聞いた言葉です。

 

 人生において、全てのステータスは加点方式だと思いますか?減点方式だと思いますか?少しずついろんな事が出来るようになっていくから加点方式なのかだんだんといろんな事が出来なくなっていくから減点方式なのか…

教えられた結論減点方式です。

僕はかれこれ20年ほどこの言葉をたまに思い出して考えています。。。

 

加点方式

 学生時代に野球やサッカー、書道や茶道、ピアノや三味線あるいは勉学etc…様々な分野に得意不得意な事があった人はいるのではないでしょうか?全てが出来る人はなかなかいないですよね!勉学やスポーツ、趣味に書道や茶道などの習い事をしていてピアノのコンクールでも賞を受賞した!っていうクラスメイトはなかなか見たことがありません。学生時代から野球に取り組んで今はプロ野球で活躍している選手、学生時代からピアノを習い今ではピアニストやアーティストになっている方、料理が好きで料理人をやっている方などいろいろな方がいらっしゃいますが練習してできるようになり習得しだんだんと成長していくから加点方式にも思えます。

 

 人にはそれぞれ好きな事、嫌いな事はあるかもしれません。ですがそれはそれぞれの趣味趣向、得意不得意であり、実際にその人にその分野のセンスがあったとは限りませんよね。極端なことを話すと、全ての言語を話せる人はなかなかいないですよね?普段から使っている言語をなんとなく使えるようになって意思疎通がとれるようになっていくという感じですよね。どこで産まれたかは別として、日本人に関わることが多いと自然と日本語が少しずつ話せるようになるというのは想像付くと思います。この課程にセンスは必要なのかを考えたことがあるでしょうか?センスがないから日本語は出来なさそうだから英語を、フランス後を。とはなりませんよね?両親が日本人とアメリカ人で日本語と英語を話せる人は珍しくないですがこれはセンスではなく環境によるものですよね。とも言えますね。環境によって左右されできるようになった事も人それぞれにあると思います。

 これを加点方式として、すこしずつ出来るようになったという考え方ができますよね。環境や運は自信のステータスを習得するという考え方でとても大事だと思います。

 

減点方式

では減点方式とはどういう考えなのか。というのがこのブログで書こうと思った本題です。祖父から教えてもらった内容は

人間は最初はなんでもできる状態だが、普段やらないことはどんどん出来なくなっていくor忘れていく

と言う内容でした。

どうでしょう?たしかにそうかも?ってなったりならなかったり…?

例えばいまこれを読んでいるあなたが今学生なのか社会人なのか、はたまた定年で退職をしているのかはわかりませんが、勉学やスポーツにすると分かりやすいです。小学生、中学生範囲の学習内容であれば覚えている方は多いのではないでしょうか?では高校数学、大学となるとどうでしょう?全然覚えてない~となりませんか?

スポーツであれば僕は水泳や卓球をやっていましたが、今バタフライができるのか?と言われればフォームは近くてもとても泳げるとは言えない状態になっていると思いますし、卓球でいうとスマッシュやカットができるかと言われればラケットに当てるくらいはできても相手コートに上手く返すのは練習し直さないとできないでしょう。

 あなたにも「昔は解けていた問題も今では解けない状態」や「昔は出来たけど今では出来なくなっているスポーツ」はあるのでは?

 昔はできていたけど今では出来なくなっていることは減点方式と捉えることになりますよね。

このブログの全ての事は0からのスタートという名前ですが、実は今回の内容のこととちょっと被っていたりも。僕は加点方式という考え方もなるほどなぁってなりますし、減点方式もなるほどなぁっとなりますが全ての物事においてスタートは1ではなく0からだと思っていますし、ちょっとずつ出来るようになっていくという考え方の方が強いからこそこういうタイトルにしてみたという感じでもあります。つまり加点方式の方が馴染める感じだとは思ってはいるけど実際は減点方式なのかも?というジレンマについての葛藤が常にあります。。。

 

 僕は日本語を主なコミュニケーションツールとして使っていますがこれは今までの28年間、日本語と学生時代に習得したほんの少しの英語では日本語の方が意思疎通が楽だからです。ですが産れたときの両親が英語を話していたら今頃は英語での意思疎通の方が楽だったかもしれません。学びというよりは環境によってできあがった副産物という方が正しい気がします。

極端な話をします。これは環境によるもの?運?かは分かりませんが、両親が日本人とアメリカ人、母親の両親が日本人とフランス人、父親の両親がアメリカ人と中国人という家族が一緒に暮らすとし、子供が

 

両親とのコミュニケーションを取るのに、日本語と英語

母方祖父とコミュニケーションを取るのに、日本語とフランス語

父方祖父とのコミュニケーションを取るのに、英語と中国語

 

日本語、英語、フランス語、中国語としゃべれるようになったとします。これはしゃべれるようになった加点方式なのか、元々はしゃべれるのに他の言語がしゃべれない状態が続いている加点方式なのか。どちらも正解な気はしますよね。しゃべれるようになったのではなくもともとはしゃべれる事に気づいてないだけなのかもわかりません。。。

スポーツでもそうです。出来るようになったのか、出来る事が発覚したけど今までやっていなかったから初心者からのスタートとなるだけなのか。。。

多くの人は出来るようになった!!!と思っている事でも僕はあらゆる事において毎度こういう思考が頭をよぎっています。

逆に言うと、人間やろうと思えば何でもできる!とまで思っています。僕はこの考えで生きているからなのかは分かりませんが、あらゆる事に挑戦することが好きだし、死ぬまでに出来なかったことが多いと絶対後悔するな~と思います。自分がいつ死ぬかはわからないですけど死ぬときになってアレやっておけばよかった~…とかアレやり残した…っていうのだけは嫌なので体が動く内に何でも挑戦したい!!!

いままで興味が無かったことに興味が湧いてきたりするからどんどんやりたいことは増えていく一方なので全てをやってみるというのは難しそうですができる限りのことはやって、死ぬときの後悔はできるだけ減らすのが僕の人生での目標です!人生観とも言えますね!

 

もともとなんでも出来る状態を信じて物事にトライするかどうかは人それぞれですが、ちょっとこういった思考もおもしろいな!と思ったら考えてみて下さいね!今までよりちょっと前向きに生きていける気がしてきますよっ!

 

稚拙な文章を読んでいただきありがとうございます!ではまたっ!!!